いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。
あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
彼らの銀も金も、 主の怒りの日には彼らを救うことができない。 全地は主のねたみの火にのまれる。 主は地に住む人々をたちまち滅ぼし尽される。
彼らはその銀をちまたに捨て、その金はあくたのようになる。主の怒りの日には金銀も彼らを救うことはできない。それらは彼らの飢えを満足させることができない、またその腹を満たすことができない。それは彼らの不義のつまずきであったからだ。
これらのことのために、神の怒りが下るのである。
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
あなたは、わたしの恐れるものを、 祭の日のように四方から呼び集められた。 主の怒りの日には、 のがれた者も残った者もなかった。 わたしが、いだき育てた者を わたしの敵は滅ぼし尽した。
このために、あなたがたは荒布を身にまとって、 悲しみ嘆け。 主の激しい怒りが、 まだわれわれを離れないからだ」。
「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。
あなたがたはその父に代って立った罪びとのやからであって、主のイスラエルに対する激しい怒りをさらに増そうとしている。
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。